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はじめに

自己紹介

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私たち夫婦は、2年前の2020年、12月に家を売り払ってキャンピングカーの旅に出る!という無謀な挑戦にトライしました。

『やる!』と決めた時、
沢山の反対に合いました。

誰もが皆んな、
『嘘でしょ!?』
『どうやって!?』
『◯◯はどうするの!?』
『絶対無理だよ!!』

正直、
『だよね、、、』
と思う気持ちはありましたが、
それよりも
【やってみたい!!】
という気持ちが圧倒的に勝っている自分がいました。


できない理由を探すより、
できるかもしれない道を探そうよ。


そんなのできる訳ないじゃん!
って言う人とより、
それめちゃくちゃ面白いじゃん!
って言う人と残りの人生一緒にいたい。


自分が残された命の時間を、
誰の為に使い、
誰と一緒に遊びたいか。
この人生が、
最高だったと、
笑いながら逝きたい。


そう決めたこの日から、
私たちの
【本当の自分に逢いに行く旅】が
始まりました。

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どんな景色で目覚めたい?
どんな空気を吸いたい?
どんな音を聴きたい?
どんな風を感じたい?
どんなエネルギーを浴びたい?
【最高】って叫びたくなる場所ってどこ?

2人にとっての、
安住の地はどこにあるんだろう?

本当に、ここだ!!
って感じるものなんだろうか?

キャンピングカーで、
北から南まで、
24時間365日、
一緒にいる生活の中で、
沢山、沢山、話しをしました。

私たちは、
お互いに離婚を経験し、
家族を失い、
仕事を失い、
鬱を経験し、
恐怖を経験し、
不幸のドン底で出会った夫婦でした。


みんなが当たり前に持っている
家族との団欒や、
あたたかい食卓や、
子供たちの笑い声が飛び交うお庭や、
優しく抱きしめてくれる、
パートナーの温もり。
【心から癒される場所】
【心から落ち着ける安全な場所】
がどんなに欲しくても持つことが叶わず、
もう一生持つ事は出来無いだろうと
諦めて生きてきた人生。


結婚に失敗した自分を責め、
相手を幸せにできなかった自分は
本当にダメな人間で夢を語る資格はないと
自分にバツを付けてきた人生。


もう、
そんな自分を、少しずつでいいから、
許していこう。

愛せる自分になろう。

人から愛される事を、
心から喜べる自分になりたい。


2年かけて、
私たちはようやく苦しみから
抜け出す事ができました。
(まだ途中ですが)

地位も名誉も役職もない、
等身大の自分を見せていくことや、
赤裸々なカミングアウトにもチャレンジし、

ようやくありのままの自分を
見せられる仲間ができてきた気がします。

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座右の銘

座右の銘

誰かの目を気にして、
誰かの評価を気にして、
誰かの期待に応える為に
自分を作ったり魅せたりする人間ほど
愚かな人間はいない。

他人の目ではなく、
自分自身の心の目を養い、
視るべきは御天道様の道である。


最初に就職した会社で出会った、
松下幸之助さまの言葉です。

 

身体が弱く
いじめられっ子だった幼少期は
いじめっ子の女の子の目が怖かった。


幼い頃から敏感で、
人が感じないことを感じてしまう子供だった。


先生の嘘や、
友達の本心が分かってしまうから、
『どうしてみんなウソをつくの?』
とツラくなって泣いてしまっても、

先生は目を反らしたし、
助けてくれるヒーローのような男の子がいたらいいのにと何度も助けてのサインを送ったけど、
いじめっ子の事を明るくて可愛い女の子にしか見えていない節穴の目だった。

全く身に覚えのない噂話をばら撒かれたり黒板にいたずら書きをされたり
上履きを隠されたりどんどん彼女のイジメはエスカレートしていったけど、

誰も事実を確認しようとしないし、
昨日まで仲良しだった女の子たちは
自分もやられるからごめんねと言って私と話さなくなった。


私が先生に褒められると、
もっといじめられるから褒められないように目立たないように必死だった。


授業中当てられるとクスクス笑い声が立ったり教科書が無くなったりするからみんなの前で発言するのが今でも怖くてたまらない。


誰かの目を気にするなと言われても
到底無理で、
すぐに裏切っていなくなりそうな人は一瞬で嗅ぎ分けられる嗅覚を持っているので、最初から近づかないし
誰にでも心を開くなんて傷付くだけだと思って生きてきた。

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人生最大の転機

人生最大の転機

そんな風に、
人を信用できずに生きてきた私でしたが、
一生愛すると誓ってくれた男性がいました。

大恋愛とまでは言えませんでしたが、
静かで温厚な人で、
この人を幸せにしてあげたいと
私も一生懸命尽くしました。

ところが、
仕事が上手くいき、出世していくにつれ
帰りが遅くなり飲みの席が増え、
イライラしたり1人でいたいと言う事が増え、
クダを巻いて帰って来る事が増えていきました。
笑顔で支えるのが妻の役目だと、
朝食夕食の準備は欠かさず、お弁当を作り、
スーツにアイロンをあて、靴を磨いて待つ日々でしたが、
長男が1歳半、次男が妊娠8ヶ月の時に辞令が出て
仙台の片田舎から、東京本社勤務に。

当然ですが、
8ヶ月の妊婦が1人で引っ越しの荷造りや家探しや産院探しをするのは不安でしかありません。
切迫流産しかけて自宅安静を強いられていた時、
彼は会社の送別会ラッシュで毎晩午前様。。。
会社の社長も、周りの先輩たちも、顔見知りです。
なんだか敵に思えてきた私は、
朝から出血が続いていて、遊び盛りの長男の相手やお風呂やご飯で寝ていられず、
『今日だけは飲み会断って帰って来てほしい。』
と彼にメールを送りました。


ですが、
20:00、21:00、22:00、、、
一本のメールもなく、
2:00にご機嫌で帰って来た彼は飲み屋のママに
持たされたお寿司の折詰を手渡して言いました。
『みんなお前の事、心配してくれてるんだぞ!』

心の糸が切れた瞬間でした。
本当に心配していたら、
一刻も早く帰りなさいと言うはずでしょ。
私は飲み屋の10万円のレシートとお寿司の折詰を投げつけて
『ふざけんな!有名な大学出た頭がいいだけのエリートサラリーマンは心を学んで来なかったんだね、可哀想な人!そんな人たちが集まった会社が日本を牽引してると思うと世も末だわ!!』


そこから、
信じられない事が起きました。

彼は
妊婦の私を殴り、
髪の毛を掴んで玄関に投げ捨て、
『誰に向かってそんな言葉言ってんだ!』
と凄い剣幕でお腹を蹴り、
私の両親を呼び出しました。


今の自分がこの瞬間に戻れるのなら、
間違いなく離婚を選択していたでしょう。
でも、、、
でも、、、
私には子供たちがいる。。。
それに私には何の稼ぐ手段もない。
親を安心させる為にも、
この人を許すしかない。


長い話し合いの結果、
彼を許すことになります。


無事東京に引っ越し、
可愛い赤ちゃんが生まれ、
お金の心配もなく、
世間的には【理想の家庭】


ですが、
それから6年ワタシは闇から抜け出せずに
【我慢】【世間体】【自己犠牲】
の上に成り立っている夫婦でした。

お酒を飲んでは暴れる夫が
怖くて何も言えなくなり、
スキンシップも嫌になり、
ただただ、一生懸命子育てをして
気を紛らわす。
満たされない気持ちを、
仕事で満たすように打ち込んで、
バランスを取る毎日でした。

彼の言葉の暴力は毎日で、
海外出張に行っている間が、
唯一ゆっくり眠れる時間。

シングルマザーとして子育てをしていく覚悟を決め
彼が単身赴任でいない間に、
離婚届を送りアパートを借り、
子供達を連れて逃げ出しました。

仕事を掛け持ちし、
子供たちを育てる為に、
昼も夜も仕事をし、
飲めないお酒も我慢して飲みました。


どんなに体がキツくても、
朝方、子供たちが眠っている姿を見ると、頑張れました。


『ママのお仕事は、笑ってご飯食べて、
人を笑顔にするお仕事なんだよね!』


子供の言葉が、
ワタシを支えてくれました。


そんな生活が、
1年経った頃、
腹痛で動けなくなる事が度々あり、
おかしいと思いつつ、、、
病院に行くお金もなかったんですよね。
電気が止まって、
ガスが止まって、
子供たちとお庭にソーラーライトを並べて
その明かりでキャンプごっこをして凌いでいた時期でした。


ワタシの子宮にできた、
小さな異形成が
毎日毎日ワタシの哀しみと同じように
増幅し、大きくなっていきました。


働けなくなる恐怖。
夜眠る恐怖。
朝が来る恐怖。
子供達と会えなくなる恐怖。


恐怖と隣り合わせの生活でできた、
【癌】という名の塊りでした。

【癌】が教えてくれた道

【癌】が教えてくれた道

癌になったのには理由がある。

人は食べたものでしか作らない

そして、
浴びている言葉で思考が作られ
過去の経験が性格を作る

人を信用できない自分
友達なんてあっさり裏切るよね、って
思っている自分
だから自分には何もできないし
特別な能力も魅力もないし、って
無難な道を選ぶ人生。


そんな人生を、
やめたいと思った。


【普通の人はこうするよね】

ではなく、

【コレができたら凄くない!?】

という道を選ぶ人生を、
生きてみたい。

量子力学、
波動、
エネルギー、
自然療法、
陰陽五行、
マクロビオティック、
食養生、
予祝、

癌になったお陰で、
私は沢山の人やモノ、思想や医学に
出会う事ができた。

口から入れる物の波動を測り、
素材を【選ぶ】ことから始めた。

身体に入れたいもの、
入れなくないもの、

そして何十年もかけて蓄積してきたものを
徹底敵に【抜く】ことに集中した。

心と身体のデトックスが
何よりも大切だと体感した。


中でも、
末期癌の身体で世界旅行に出て、
自然療法で末期癌を見事に克服し、
その本が20ヵ国以上でベストセラーになり
世界的に有名になったというアメリカ人。
ジェイソンウィンターズ氏の本が、
私のバイブルとなった。

彼の行動力と、
生きたいと願う貪欲さ、
そして医者に命を委ねないという男気。

勇気をもらい、
私にもできる!と思えるようになり、
恐怖よりも
『やってみたい』という気持ちが勝つようになった時、癌細胞が消えてなくなっているという
奇跡が起きました。


切り取って終わりではなく、
【根本治療】をしたいと思えた事が、
最大の強さとなり、
そして【生き方の改善】こそが、
自分がやりたかった事だったと気づきました。

余命3ヶ月だと思って生きる

余命3ヶ月だと思って生きる

癌を治す過程で、
私がした事は
『死ぬ前にやりたかった事リスト』を作ることでした。


・優しくて男らしくて最高のパートナーが毎朝『愛してるよ』と言って抱きしめてくれること

なんていうあま〜いものから、


・両親、兄姉、従兄弟達、全員で、両親の遺影になる最高の家族写真を撮ること


・共に学び、笑い、泣き、リスペクトし、応援し合える仲間ができること


・その仲間たちと過ごせる最高の景色、エネルギーの場所に家を建てる


・自己肯定感が低い国No.1  の日本。子供達が誇れる世の中を遺したい


・不登校や小中学生の自殺率増加を止めたい。いじめの無い社会をつくりたい。


・死ぬ前日まで、世界平和につながる今日を送りたい!!

 

なんていう、
ものもありました。


【本当に欲しかったモノ】
【本当にやりたかった仕事】
【本当に出会いたかった人】
【本当に味わいたかったシアワセ(気持ち)】


を具体的にイメージした時に、
月収100万円!とか、
表参道にサロンを持ってテレビに取材される!
とか、今まで夢リストとして書いていた事が一個も出てこなかったんです。


要するに、
『本当の予祝』じゃないから、
叶わなかったんですよね。

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© 2022 一期一縁 沖縄BASEプロジェクト

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